澄懐堂美術館沿革
澄懐堂美術館は、平成6年(1994)4月に開館した全国でも数少ない中国書画専門の美術館です。このコレクションは、政財界で活躍し、昭和2年(1927)田中義一内閣及び昭和6年(1931)犬養毅内閣で農林大臣を歴任した山本悌二郎(1870-1937、号は二峰)が、中国美術の保護と研究を目的に、明治から大正、昭和初期にかけて蒐集したものであり、これら2,000余件の蒐集品より1176件を精選し、擱筆・編纂されたのが世に知られる『澄懐堂書画目録』(全12巻、昭和6年)です。この目録は広く宋・元・明・清の中国の名家を網羅しており、現在李成(919-967)「喬松平遠図」をはじめとする優品が本館に所蔵されています。あわせて坂東貫山(1887-1966)旧蔵の中国の古硯・文房具類、日本の儒者の遺墨等も今日に至るまで大切に保管され、公開されています。
山本悌二郎
澄懐堂書画目録(全12巻)
悌二郎のコレクションは、その後側近であった猪熊信行(1906-1991)に引き継がれ、第二次世界大戦中の東京大空襲の直前に猪熊の故郷である三重県四日市に移され、幸運にも難を逃れました。猪熊は美術の理解者として蒐集と保護に精励し、昭和38年(1963)鑑賞・研鑽の施設として澄懐堂文庫を建設、昭和61年(1986)には財団法人澄懐堂を設立して自らが初代理事長となり、これらのコレクション、私財、基金を寄贈しました。そして、寄贈者猪熊の至願に沿い、この貴重な美術品を広く一般に公開し、丁重に保管、散逸することなく後世に伝承するため、平成6年(1994)年4月、四日市市鵜の森に澄懐堂美術館を開館、平成29年6月まで展覧会を開催しました。その後、四日市市水沢の澄懐堂文庫に移転し、現在春季と秋季に館蔵品を公開しています。
猪熊信行
澄懐堂文庫(現在の澄懐堂美術館)
澄懐堂の堂号について
澄懐とは、六朝山水画の始祖とされる宗炳(375-443)が、晩年病のために江陵(湖北省)に帰ったとき「あぁ、老いと病と倶に至る。名山恐らくは遍く遊び難し、唯だ当に懐を澄ませて道を観、臥して以て之に遊ぶべし」(『宋書』巻九十三・宗炳伝)と言ったのに由来し、心を静かに澄ませて胸中の山水を楽しむことを意味します。
山本悌二郎は「澄懐堂」を堂号とし、東京目黒の自邸の玄関に翁同龢の書「澄懐堂」を掲げ、ここで『澄懐堂書画目録』を編纂しました。